スコラ・カントルム(Schola Cantorum)は、
1894年に
ヴァンサン・ダンディが、
パリ音楽院に対抗して設立した音楽学校。設立当初はダンディはシャルル・ボルドとともに裏方に回り、パリ音楽院のオルガン科教授の
アレクサンドル・ギルマンが、校長および設立者を務めた。後にダンディが校長に就任し、独自のカリキュラムを宣言して現在の繁栄の基礎を築いた。
19世紀後半にパリ音楽院は、オペラ関係者の養成機関へと変質し、声楽家といえばオペラ歌手、作曲家といえばオペラ作曲家のことしかイメージできないという状態になっていた。ダンディの恩師
フランクが、なかなか創造的な作曲家としてパリの楽壇――特に音楽院の作曲科の教授であるオペラ作曲家――に受け入れられなかったのも、フランクが主に器楽作家だったためもある。器楽演奏科や声楽科の試験も堕落しており、公開試験に学生の家族や知己が、サクラをつとめてもぐりこむという始末であり、試験課題の範囲も学力の実力を知るにしては狭すぎた。声楽科の試験では、
ロッシーニのアリアのいくつかが幅を利かせていたし、声楽教師の質の低さや知識の不足、高齢化は、時に新聞紙上で嘆かれるようにもなっていた。
Wikipedia.orgをもっと見ると…