本項は近代
ドイツにおける
軍隊()の名称の変遷を扱う。ドイツは、ヨーロッパにおいて
イタリアに次いで近代的な国民国家の形成が遅れた国であり、統一国家の誕生は
19世紀後半、イタリア(
1861年)に遅れること10年の1871年のことであった。その後、ドイツは二度の敗戦とそれに伴う政治体制の変転を経験したばかりか、
第二次世界大戦後の冷戦下に東西分断の憂き目を見ることとなった。政治体制の急激な変動に伴い、軍隊に如何なる目的を託し、軍隊に如何なる制約を課すかもまた変化した。これが軍隊の名称にも反映している。
第一次世界大戦に敗れ、ヴェルサイユ条約を受け入れ、ドイツ皇帝個人へ忠誠を誓う軍隊からヴァイマル共和国憲法に忠誠を誓う軍隊に生まれ変わる。陸軍兵力は10万人に制限され、陸軍と海軍の総称をドイツ国を防衛する軍隊と改める(Reichs-wehr)。1935年にヴェルサイユ条約の軍備制限条項を破棄し、再軍備を始めた
ナチス・ドイツの軍隊は、Wehr-machtと変更される。国防省 (Reichs-wehr-ministerium) もプロイセン時代の Reichs-kriegs-ministerium に戻された。第二次世界大戦後の
ドイツ連邦共和国の軍隊の総称は Bundeswehr (連邦軍)と改名される。先の大戦で人道に反する犯罪行為を拒否しえなかった理由と挙げられた上官の命令に絶対服従(
忠誠宣誓)の伝統を否定し、戦後の
ドイツ基本法には抗命権の行使が明文化されている。
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